一位一刀彫の伝統
一位一刀彫の創始者である松田 亮長(まつだ すけなが)は
文政6年(1823年)、23歳のときに2ヶ月間の旅に出て
伊勢、奈良、金毘羅、岡山、神戸、伏見、京都といった名所を巡っています。
このとき奈良で着色を施した奈良の一刀彫を目にしたと思われます。
高山に戻ってから、それまで一位細工(一位の板物で作る文具類)の材料として使用されていた
イチイ(一位)の木に彫刻することを考案しました。
亮長は一位の材が持つ特徴である白太(辺材)と赤太(心材)の色の違いを作品に生かしました。
その鋭い刀痕と奇抜なデザインは松田亮長独自の形であり、
奈良の一刀彫とは違う飛騨の一刀彫を作り出しています。
現在の店主、津田 亮友が六代目となります。